恋と愛のちがいについて考える

06. 01. 2022

みなさん、こんにちは。恒例の月一コラムです。
6月1日から、マヤ暦における「白い魔法使いの13日間」がスタートしました。
この期間のテーマは「愛と許し・受容・許容」、ということで愛について書いてみたいと思います。
とはいえ、愛についてとか重すぎる上に範囲が広すぎて、いつまでも書き上がらない気がするので、もう少し守備範囲を狭くして…

恋と愛の違いについて考えてみよう!と思い立ったわけです。

是非みなさんも、読みながらでも読んだ後でも、恋と愛の違いについて一緒に考えてみてくださいね◎

さて、恋と愛の違いについて考え出した時に1番最初に浮かんだのは
ミスチルの「シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌〜」の中の「恋はいわばエゴとエゴのシーソーゲーム」という歌詞でした。
お互いの欲望やエゴが行ったり来たり、重くなったり、軽くなったり。二つがピタッと止まるところ、つまり均衡点に達した時、恋は愛に変わるんじゃないかと感じています。

こじつけだろ!って言われそうなこと言いますが、恋と愛の漢字を見てくださいな、愛って冠の中にあるんですよ、つまり真心。常に自分の中で相手を思い、接する。相手に与えたいと思い、与え続ける。
それが愛なのかなぁと思ったりして。(かゆーーーーーーい!笑)

なんとなくの感覚で書いてますが、恋は


「この人と一緒になれたら幸せだろうな(私が)。」
「あの人に会いたいな(私が)。」


ちょっと悪意がある書き方になってしまったけど、恋はこうやって最後に「私が」っていうテロップが入っている気がします。
相手のことを好きな気持ちは愛も恋も同じ。だけどその感情がどこから生まれているのか…
自分のエゴ・欲望から生まれる感情だとしたら、それは恋なんだと思います。
見返りを求めたり、愛されたい気持ちが強かったり。それはきっと恋なのでは。
でも、これは決して悪いことじゃないんですよ、恋自体は素晴らしいことですから。

じゃあ、愛は?というと
家族やお年寄り、今あなたの隣にいる人に向ける無償の気持ち・優しさ。
これが愛なんじゃないかな、と思います。
真心と優しさを持って、見返りを求めず相手のことを思うことではないか、と。

さらに、恋が愛に変わるのは、冒頭でも書いたように、エゴ同士がシーソー漕いでたのにぴたっと止まって、お互いの想いや目線が同じ方向を向きだした時なのではないでしょうか。

自分よりも相手の幸せを望んだ行動や発言ができること
執着せずに信じ、多少のネガティブポイントも許せること

例えば、親は子どもの幸せを第一に考えますし、子どもがミスをしても関係を切るなんてことはそうそうありませんよね。
こういった、家族に向けるような気持ちを相手に持ち始めたら、それは愛の始まりと捉えていいんじゃないでしょうか。


この人になら何でも与えたい、と思えるくらい愛せる人に皆さんが出会えますように。そして、人を愛するその前に、一番大切な自分のことも愛せますように。

水無月、水捌けの悪い季節ですが少しでも前向きに日々を過ごしていきましょう◎


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