西上のすべて〜ジャイアンとのび太的小学校編〜

09. 01. 2022

みなさん、こんにちは。
早いもので、もう9月。
嘘だと言って欲しいのですが、
「あと4ヶ月で今年が終わります。」

Pardon!?
年々、1年過ぎていくのが早すぎるのよ…
この間あけましておめでとうと言ったのに、というそんな気持ちです。

さて、先月から勝手にスタートした
西上の半生日記。
今回は小学生の頃のお話をつづっていきます。

ータイトルの「ジャイアンとのび太」が意味するものとは?ー

「ないかな、ないよね。
なんてね、思ってた。
まいったな、まいったな、
話すことに迷うな。」
〜西上のすべて〜

さぁ、いってみよう。

【西上桃世、6歳から11歳の記憶と記録】

プチ鬱を経験した幼稚園時代を経て、
無事小学校に上がった桃世。
お尻まであった髪の毛をバッサリカットし、
ここから私のショートヘア人生がスタートしました。(壮大)

この頃の夢はもちろん人魚姫です。(年長さん)

名古屋市内にある小学校に入学し、
通学途中はグリコゲームをしたり、
道端のよもぎを食べたり(汚い!)
ジャングルブックのような生活を送っていました。

勉強の成績はそこそこ。
今は苦手な算数から体育まで平均的にこなしていたように思います。

学校から帰ったら、キックボードやローラーブレードの練習をしたり、
かと思えば伝統的な遊び、竹馬や一輪車をしたりしながら過ごしていました。


どんな遊びをするときも
これだけは共通していたのですが、


超負けず嫌い


だったので、友達ができて私にできないことがあるのは嫌だ!と
日が暮れるまで色々な技(?)を練習したのを覚えています。

まぁ、ええように言うと「頑張り屋さん」ってことですね。ハイ。

さて、そんな感じで(どんな感じ?)
1,2年生時代を過ごした私。
転機が訪れたのは3年生の時でした。
当時、A,B,C(仮名)の3人と遊んでいた私。
Aちゃんがリーダー。
結構顔も可愛くて、性格がすごく悪くて
(失礼ですみません。でも気持ちいいくらい性格が悪かったから。笑)
一緒にいるAちゃん以外の3人のこともこき使うような、そんな子でした。

小学校3年生。赤ん坊ではないので、悪口だって言います。
Aちゃんを除いた3人で、集まっては愚痴大会を開いていました。

この愚痴大会が、
後に自分の首を閉めることになるとも知らず…



ある日のこと。
小学生の頃の休憩は、10分休憩とお昼に長めの20分休憩があるのですが、
その長い休憩の時間、私以外の3人が机の前までやってきました。


「なんだろう?」

彼女たちの思惑に気づくはずもなく…

「もんぴー(当時のあだ名)こっち来て。」

そう言われると、言われるままに彼女たちについていきました。

連れて行かれた先は、校庭にある木が生茂る場所、通称「森」←そのままw
なぜここに呼ばれたんだ?とうろたえていると、
Aちゃんが唐突に

「ねぇ、どんな気持ちだった?」

と歌の歌詞みたいな台詞を吐き捨てました。

そう、B&Cに裏切られたのです。


3人で話していた悪口は、いつしか私が1人で言っていたことになり、
B&CはAちゃんに「もんぴーが全部言っていた」と告げ口。
Aちゃんの逆鱗に触れた私は、
「拷問ごっこ」と呼ばれる
叱責を受け続けることになったのでした。

拷問ごっこの内容は至ってシンプルで、
物理的な暴力ではなく、

言葉の暴力を受け続けました。

質問事項はシンプルで

・なぜAちゃんの悪口を言ったのか


こればかり聞かれてたんですけど。
どさくさに紛れて私の悪口を直接言われたりw(普通に傷つく)
B&Cも「いや、あんたらも言うてたやないかい!」と
突っ込みたそうな、
でもそんなこと言えない、と
葛藤している私の顔をニヤつきながら見ていたなぁ。

今思えば、弱冠9歳でこんな遊びを考える彼女らの脳味噌が恐ろしいです。


そんな拷問ごっこを約半年ほど受け続けていましたが、引っ越しで転校し、この拷問は強制終了されることに。
(本当に良かった…)

県内の別の小学校に移った私は、
なんとその後「いじめっこ」に転生。
まさにのび太が覚醒してジャイアンに。
顔が可愛らしくて性格がわがままな年下の女の子。

きっと、前の小学校のAちゃんにその姿を重ねていたのでしょう。
自分が歳上なのをいいことに、いじめられっこから、いじめっこへ。

ただ、私は言葉で脅すとかそういうことはせずに、帰り道一緒に帰らないなど、わかりやすいいじめをしていました。

結局、相手の女の子の親にいじめている事がバレてしまい、こっぴどく叱られ(当たり前)、この件は終了。

のび太からジャイアンへと超変貌を遂げた
小学校低学年時代でした。


いじめの話はこのあたりで終わっておきましょうか。


勉強や、私生活はどうだったのかというと、
親がスパルタ教育だったので塾に通ったり通信教育を受けたりしていました。
親に怒られないように、テストでは常に
80点以上を取れるように頑張っていました。
学校終わりや休みの日は、
地元のショッピングモールでプリクラを撮る日々。

…親からはプリクラ禁止と言われていたので、何度も怒られていました。笑

思えばこの頃から、周りの友達が持っているものを持たせてもらえなかったり
何かにつけて「ダメ」と言われたりして制限が多かったように思います。
ダメ、と言われると人間逆の行動を取りたくなるもので、制限されればされるほど、隠れて悪い事をしたくなったようです。

親からも、この時代の教育方法について謝られることがあります。
「もっと自由にさせてあげれば良かったね。」と。
ただ、過去に戻ることはできないので今更感はありますが…
この頃、もし自由にやりたいことをやって日々過ごしていたら…

この後やってくる、中、高校生時代は
どんなものになっていたのかな。


覗いてみたい気持ちはあります。

今は今で楽しいし、今の自分が好きだし、悔いはないんだけどね。

さて、次回はスポ魂中学生時代編。
実は中学生の頃はスポーツ刈りで真っ黒に日焼けしたテニス部キャプテンでした。
考え方を変えてくれた恩師との出会い、
部活に勉強に明け暮れた中学生時代のことを
書いていきたいと思います。

ではまた来月。