西上のすべて〜歯しか見えなかった中学校編〜
みなさん、こんにちは。
わたくし西上さんの半生日記。
私の人生における
ターニングポイントのひとつ
中学時代の話をしたいと思います。
歯しか見えないとは。笑
「ないかな、ないよね。
なんてね、思ってた。
まいったな、まいったな、
話すことに迷うな。」
〜西上のすべて〜
さぁ、いってみよう。
【西上桃世、12歳から14歳の記憶と記録】
尾張旭市の公立中学校に通い始めた私。
生活の9割が部活動だったな、
と今思い出しています。
近所のお姉さんいたソフトテニス部に入り、
蓋を開けたら3年間続けていました。
私が入部した頃のテニス部は、
練習も適当で腐っていて、入部したのを後悔するくらいでした。試合に出ても1試合も勝てないなんて当たり前で市内の中学校の中では最弱でした。
中学2年になった時、当時市内で1番強いチームの顧問の先生(通称、鬼教官)
が転勤してきました。
もちろんソフトテニス部の顧問に。
部員たちの日頃の生活態度や(制服の乱れなどが嫌いな先生だったので)、
テニスに対する態度のひどさに呆れていたのが今でも鮮明に思い出されます。
キャピキャピの先輩たちと違って、同学年の部員たちは真面目な子が多く、「このままではいけない」と入部時から思っていた子がほとんどでした。
なので鬼教官が転勤してきたことに一縷の望みを託しており、先輩たちが引退してすぐに顧問の先生に頭を下げに行き、
「強くなりたいです!!!!!」と訴えたのを覚えています。
「強くなりたい」
13歳の女子たちの眼差しを受け取ってくれた先生は、自身がずっとタッグを組んで最強チームを作っていたコーチを元いた中学校のチームから呼び寄せてくれました。
部室の掃除に始まり、
- コート整備の仕方
- ボールやコート、審判や支えてくれる人に対する感謝の気持ち
- やったことがなかったチームの朝礼・終礼をする意味
- チームプレーで大切なこと…etc
技術はもちろん、
本当に多くのことを教わりました。
その鬼コーチはほぼ毎日「テニス部通信」なるものを刷って配り、スポーツマンシップについて丁寧に教えてくれました。
その中で忘れられない言葉があります。
「この一球は、絶対無二の一球なり。されば、心身をあげて一打すべし。」
これは部員全員、暗記させられました。笑
でもね、他の出来事は色々忘れても、この言葉だけは覚えているんです。
同じ球は2度と来ないと。
一瞬一瞬、命がけで打て、と。
これは、今の私の生き方や考え方に深く根づいています。
後先いろいろ不安なことはあるけども、
今目の前で起きている出来事に全力で取り組んでいます。
私は野球、中でも高校野球が好きです。
プロ野球も観ますが圧倒的に甲子園の中継を観ることの方が多い。
それはなぜか ?と考えた時に、
この考えが頭をいつもよぎるのです。
プロ野球には、次がある。
シーズンを通して上位に行けばいい。
でも高校野球は次がない。
ここで負けたら夏が終わる。
だから、一心不乱にバットを振る。
スライディングする。
ボールを追いかける。
その瞬間を生きることに憧れ、実践しようと努力し、実践している人に興味を持つんだと思います。
気づけば2年生の終わりから引退までキャプテンを務めていました。日に焼けて真っ黒、暗闇で笑うと歯しか見えなかったとはこのこと。
(この頃の写真はほぼ歯の写真です。)
キャプテンだったので、チームをまとめ、揉め事を解決し、部員の不祥事は自分の責任になったり、と中学生にしては多大なるストレスを感じつつw
本当にいい経験をさせてもらいましたし、
先生やコーチにも感謝しかありません。
当時は、他人が起こした出来事で
私が頭を下げることや、
「お前は影にいろ。前に出る必要はない」
と言われて理不尽だと思っていたけど
人の上に立つ存在はどう「在る」べきか、
テニスを通して教わった気がします。
俯瞰して全体を見ることの大切さはこの時に学びました。
森を見ることができない人間はいくら1本の木の知識に長けていても
その力を活かし切ることはできない、と。
キャプテンである以前に一人の選手だったので、試合にもたくさん出たいし強くなりたい、強豪校との練習試合ができるトップグループに入りたい、と負けず嫌い、欲望むき出しの私だったので、キャプテンとしての業務が煩わしく感じた時期もありました。
ですが、引退前にはそれはそれは落ち着いて、一歩引いてチーム全体を見ることができる、キャプテンらしく成長していました。
中学時代は部活動と、塾通いで勉強に明け暮れ、テストではいつも学年上位に食い込むほどのガリ勉。(自慢ではなく事実)
と言っても、
勉強が好きだったわけではなく
親に怒られないための勉強だったので
テストでしかいい点数が取れないエセ秀才。
おかげさまでオール5の成績で第一志望校に推薦入学できましたが、
小学生の頃から、私はいつも親の目を気にして、親のために勉強して、いい子を演じていたのかもしれません。
隠すこと、自分の気持ちに蓋をすることが上手くなり、本心を表に出すことが怖くなっていたように思います。
だけど、テニスをしているときは本気の自分でいることができたんです。
誰の評価も気にしなくて良い、自分の思うがままにプレーし、ありのままの自分を「バカ!」と罵倒しながらも愛を持って見守り続けてくれた顧問とコーチの存在…
とても、大きくて、頼もしかった。

高校時代はさらにガリ勉が加速するので、笑
私の青春は、この中学3年間に詰まっていたのかもしれませんね。
さて、続きはまた来月に。
文武両道を校訓にかかげた
高校での3年間について綴ります。
みなさま、良い秋の日を!