西上のすべて〜0歳から小学校に上がるまで編〜

08. 01. 2022

みなさん、こんにちは。
いかがおすごしですか?
コンクリートの中に溶けそうな天気
アチチな高松のスターバックスコーヒーでこの記事を書いてます。

さて
読んでいる人がいるかわからないけど
ここに毎月月初、コラムを書いています。
…コラムというか、
ただ書きたいことを書き殴る時間。
私にとって大切な、
心落ち着くワークのひとつです。

ここからが本題。
完全に気分なのですが、
今月から数ヶ月にわたり
私、西上桃世の半生を振り返る日記を書いてみたいと思います。

そう、自叙伝☆(誰得ー!!!!)

私、こんな人生を歩んできたんだなと
いつでも見直せるようにと思って。

いつになるかわからないけど、
いつか子供ができたら、
お母さんはこんな人生を過ごしてきたんだよと伝えたくて。
お母さんはこんなに自由にやってきてるんだから、

あなたもそれでいいと伝えたい。

自由に、赤裸々に書き殴りますので興味のある方だけ見てください。笑

「ないかな、ないよね。
なんてね、思ってた。
まいったな、まいったな、
話すことに迷うな。」
〜西上のすべて〜

さぁ、いってみよう。

【西上桃世、0歳から5歳の記憶と記録】

出身地は?と聞かれるといつも迷ってしまいます。
生まれた場所なのか、育った場所なのか?
生まれた場所で正解ならば、私の出身地は東京都中央区。
築地にある聖路加国際病院で
オギャーと生まれました。
どんだけ喉乾いてたん?と思うほど羊水をがぶ飲みしたせいで、
出生後1週間は保育器の中で過ごしていました。

名前の由来は、
桃の花のように美しく、世界に羽ばたいていくように。
という願いを込めて「桃世」と名付けられたらしいのですが、
出会う人全員に春生まれと勘違いされるので、ちょっと辛いのがリアルな話。

3歳ごろまで千葉県浦安市の近くで暮らしていました。
1歳で初めてディズニーランドを訪問。
その日は年越しイベントだったそうで、
寒さで見事にお腹を壊し、ずっとおむつが汚れていたらしいです。

もはやおむつすらしていないわたくし

「絶対他の日でよかったやろ」と全わたしが突っ込む。
当の本人は漏らした記憶も感覚も全くないので別にいいけど
一緒に行った家族はさぞ大変だったろうと思います。笑

3歳になるころ、父の転勤で愛知県に引っ越し、
囲碁将棋界のサラブレッド、藤井聡太くんの出身地のお隣の市(隣かよ)
である尾張旭市で幼少期を過ごしました。

ちなみにこの尾張旭市はイメージキャラクターがいて、小豆島のキャラクター、オリーブしまちゃんばりに可愛い!
イベントにも力を入れていて、市のイベントにはほぼ確であさぴーがいました。

基本のあさぴー

尾張旭がハッピーになるようにという希望を込めて名付けられたらしいのですが、
行政の期待通り、尾張旭市は基本的にハッピーなまちだったように思います。

さて、話を戻して。

愛知県に引っ越してきた3歳の桃世。親も愛知県の幼稚園や学校のことが分からず、
ご近所さんに勧められるがまま、そこそこ有名な私立幼稚園に入学しました。


が、これが私の人生における第一の失敗でした。

その幼稚園は、園児に常に「完璧」を求める幼稚園でした。
例えば、時間厳守なんて当たり前で、絵も上手に描かなければ怒られるし、
歌も上手に歌えなければ怒られるし、とにかく道から逸れると怒られました。
運動会の行進の練習において、足の角度が揃うまで炎天下の中で足踏みをさせられるという苦行を強いられたことも。

心の声「ここは…日本ですか?」

おかげで常に大人の顔色、声色を伺うようになってしまい、
最終的には声が出なくなり、引きこもり、幼稚園に行かなくなりました。
3歳にして、うつ病になったのです。

このままではいけないと、親も友人に聞き込みを重ね、
当時、母と1番仲が良かった人の知り合いが園長を務める幼稚園に転園しました。

転園初日。


バス乗車前→号泣
乗車中→号泣
下車後→号泣
(今でも覚えてるけどw泣きすぎw)

幼い桃世も、何となく不安をキャッチしていたんだと思います。
幼稚園=怖い場所という記憶が植え付けられてしまったので、
怖くて仕方なかったんだ、と。


大人にガミガミ言われ続け、おそらく自律神経がぶっ壊れていた私は、
協調性のネジが飛んでいて、みんなと同じことができなくなっていました。
みんなが椅子取りゲームをしていても、下駄箱の前で絵を描きました。
みんなが歌を歌っていても外にいるウサギを見ていました。
みんなとは別の時間にお弁当を食べていました。
奔放にやりすぎていたように思います。

ただ、転園先で、それを叱る大人は1人もいなかったのです。
自由で、楽しい天国のような場所でした。
自由に動く私をただ受け入れて、褒めてくれました。

この幼稚園に通っていなかったら、擦れた大人になっていたに違いない。

あの頃私を受け入れてくれた大人たちには感謝しかないです。

ちなみに、おませさんだったのでいっちょまえに恋もしていました。
しかも、好きになるのは大体1番イケメンな男の子。
幼稚園児なんて、見た目が全てなんですよ。
顔とか、着ているお洋服がかわいいとかで好きになる。
内面がどうとか考えたこともなかった気がします。

イケメンな男の子はもちろん可愛い女の子とラブラブでしたね。
マセガキ桃世は憤慨し、幼稚園の夏祭りの時に竹の水鉄砲で
その女の子を狙い撃ちしたり(やり方が姑息)
クラスの行事に参加するようになった頃は
頑張ってそのイケメンの隣の席を死守しようとしたりして
3歳なりに必死に恋をしていました。

結局実らなかったけど。
淡い初恋の経験が幼稚園にいる間にできてよかったと思います。

自由な場所でのびのびと過ごすことができた私は、小学校に無事進学することに。


波乱の幕開け。


私の半生の中で最も過酷だったと言えるこの時代の話は次回に持ち越しです。

どうぞ気長に、お待ちください。